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2014/06/05

F1日本グランプリにナイジェル・マンセルの来場が決定! (鈴鹿サーキット)

Mansell左:圧倒的な強さでチャンピオンを獲得したマンセルの走り、右:ナイジェル・マンセル(C)鈴鹿サーキット

参戦当時多くのファンから絶大な人気を誇ったナイジェル・マンセルの来場が決定した。アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ネルソン・ピケとともに「F1四天王」と呼ばれ、華々しい活躍を見せたマンセル。 アグレッシブかつ神業とも言われるドライビング技術と、時折見せる人間味あふれる走りから多くのファンに愛されたマンセルが鈴鹿にやってくる。

マンセル関連イベント情報

ウイリアムズHonda FW11(1986年)によるデモンストレーションランを開催
10月5日(日)決勝レース前に、1986年にマンセル氏がドライブしたウイリアムズHonda FW11にてデモンストレーションランを開催。

ナイジェル・マンセルトークショーを開催GP
スクエアの特設ステージでトークショーを開催します。今だから語れる伝説のバトルの記憶など、貴重な話が聞けるチャンスです。

VIPスイートプレミアムトークショーを開催
VIPスイートのファンだけが体験できるプレミアムトークショーです。屋内で開催されるためステージとは違ったアットホームな雰囲気のなかで行われるトークショーをお楽しみいただけます。

VIPスイート・プレミアム フォーミュラワン パドッククラブに登場
ピットビルディング2Fのプレミアム観戦ラウンジ「フォーミュラワン パドッククラブ」にマンセル氏の登場を予定しております。限定されたファンだけの特別なひとときをお楽しみいただけます。

※走行マシン、イベントの内容は変更となる場合がございます。

鈴鹿サーキットイベント情報

■1985年、ウイリアムズHondaで初優勝!1986・87年はチャンピオン争いを展開

ナイジェル・マンセルを語るうえでHondaの存在を避けて通ることはできない。1980年にロータスからF1にデビューしたが5年間で最高位は3位だった。そのマンセルに転機が訪れたのは1985年、Hondaエンジンを搭載するウイリアムズに移籍したのだ。この年地元イギリスで行われたヨーロッパGPでF1初優勝。マンセルの名を世界に轟かせることになった。その後も優勝を重ね、チャンピオン争いを展開した1987年の母国イギリスGPで優勝。この時2位に僚友ネルソン・ピケ、3位、4位にロータスHondaのアイルトン・セナ、中嶋悟が入りHondaエンジン搭載車がトップ4独占の快挙を達成したが、そのリーダーとなったのがマンセルだった。マンセルの活躍で母国イギリスは大いに沸き「愛すべき大英帝国の息子」とまで呼ばれ1990年大英帝国勲章・オフィサー賞を、2012年には同・コマンダー賞を受勲したほどだった。イギリスで愛され、日本で愛され、そして世界で愛されたF1ドライバー、それがナイジェル・マンセルだ。
 
■1987年、鈴鹿初開催のF1日本グランプリ大きなリスクを伴ってもアクセルを緩めないマンセルの走りに、多くのファンが熱狂!

ナイジェル・マンセルが初めて日本のファンの前に登場したのが、鈴鹿サーキット初開催となった1987年の日本グランプリ。この年はウイリアムズHondaのマンセルとネルソン・ピケが激しいチャンピオン争いを演じ、鈴鹿を含めて残り2戦でタイトル争いはこの2人に絞られていた。

日本グランプリでもこの2人が金曜日のフリー走行からトップを奪い合う激しい戦いを披露。迎えた公式予選でもすぐにトップタイムを記録したマンセルはピットで待機。そしてピケがこのタイムを破ると猛然とピットを後にした。マンセルにはポール・ポジションの自信があったし、ピケに負けるわけにはいかない。圧倒的な速さで1、2コーナーを駆け抜けた直後のS字コーナー、わずかに挙動を乱したマンセルのマシンがタイヤバリアに激突。決勝レースはドクターストップでマンセルの欠場が決まり、ピケがチャンピオンに輝いた。全てのセッションで最速を求め、たとえそれが大きなリスクを伴うものであってもアクセルを緩めないマンセルの姿勢が多くのファンを熱狂させた。
 
■1992年モナコGP アイルトン・セナとの死闘はF1最高のバトルとして今も語り継がれている

数々の名勝負を演じてきたナイジェル・マンセルだが、真っ先に挙げられるのが1992年、モナコGPでのアイルトン・セナとの死闘だ。開幕戦から5連勝と敵なしの勢いで迎えたモナコ、マンセルはポール・ポジションからトップを快走するも、レース終盤にタイヤに異常が発生して緊急ピットイン。アイルトン・セナが難なくトップに浮上。誰もがセナの余裕の優勝を予想した。だがここから歴史に残る猛追が始まったのだ。圧倒的な速さで市街地コースを攻めたてたマンセルはすぐにセナに追いつき、抜きにかかる。セナも持てる力の全てを使い必死のブロック。狭いコース幅いっぱいを使って時には2台が並んだままコーナーを駆け抜ける攻防戦が展開されたのだ。最後までセナを抜くことはできなかったが、両サイドにガードレールが迫る中でのフェアで、そして迫力のある戦いはF1史上最高のバトルとして今でも語り継がれている。
 
■1992年無冠の帝王がついにチャンピオンを獲得!日本のファンに強烈な印象を与えた最も記憶に残るドライバー

常にトップ争いに絡み、豪快な走りを披露しながらもタイトルには縁がなかったナイジェル・マンセル。いつしか「無冠の帝王」と呼ばれるようになってしまったが、1992年は大きく違った。ウイリアムズ・ルノーで開幕から5連勝を記録するなどライバルを圧倒し、日本グランプリの前に念願のチャンピオンを獲得した。日本グランプリではこの年13回目のポール・ポジションを記録。決勝でもトップを走るマンセルだったが、タイトル獲得をサポートしてくれた僚友リカルド・パトレーゼにその座を譲り、ウイリアムズの1-2フィニッシュを目指した。だがマンセルのマシンにトラブル発生。エンジンから炎を噴き上げてストップ。マンセルはまたも日本グランプリで豪快に散ったのだ。ここまで日本グランプリでは一度も完走できなかったマンセルだが、多くのファンが彼の走り、行動に魅了され、まさに記憶に残るドライバーとなった。マンセルはこの年限りでF1から引退したが、1994年にスポット参戦の形で復帰。この年の鈴鹿で4位に入り、これがマンセルの唯一の日本グランプリ完走だった。
 
■F1チャンピオン翌年にアメリカCARTシリーズでもチャンピオン獲得 今も記憶に残るマンセルの記録の数々

1980年代から90年代前半までアイルトン・セナ、アラン・プロスト、ネルソン・ピケとともに「F1四天王」と呼ばれ華々しい活躍を見せたマンセルは、数々の記録も残した。1993年アメリカ最高峰のCARTシリーズに活躍の場を移し、見事に初年度でチャンピオンを獲得。その後F1にも復帰し94年、95年と2年間で6戦に出場した。
F1通算成績は15シーズンで191戦に参戦し優勝31回、ポール・ポジション32回、ファステストラップ30回の記録を残した。チャンピオンを獲得した1992年は16戦中14回のポール・ポジションと9回の優勝を記録。ポール・ポジションは2011年にセバスチャン・ベッテルが18戦中15回を記録するまで、優勝はミハエル・シューマッハが2002年に年間11勝を記録するまで、歴代トップだった。
 
ナイジェル・マンセルプロフィール
[Nigel Mansell]

[1953年8月8日生れ イギリス出身・在住]
10歳からレーシングカートを始めたが、エンジニアとしての道を進み、大学では工学を学んだ。しかし夢を捨て切れず大学卒業後にレーシングドライバーの道に進み、22歳で4輪レースにデビュー。資金が尽き、妻とともにアルバイトを重ねながら資金を工面したり、レース中の怪我でその後の活動が危ぶまれるなど、数々の困難がマンセルの前に立ちふさがったがそれらをすべて乗り越え、1980年、27歳でロータスからF1デビューを果たした。
ナイジェル・マンセル

F1での戦績

年 マシン・エンジン シリーズ 日本シリーズ
参戦数 最高位 ランキング 予選 決勝
決勝 予選
1980 ロータス・フォード 3 リタイヤ 16位 30位 ー ー
1981 ロータス・フォード 14 3位 3位 14位 ー ー
1982 ロータス・フォード 13 3位 7位 14位 ー ー
1983 ロータス・フォード(第8戦まで)
ロータス・ルノー(第9戦から) 15 3位 3位 13位 ー ー
1984 ロータス・ルノー 16 3位 PP1回 10位 ー ー
1985 ウィリアムズHonda 16 優勝2回 PP1回 6位 ー ー
1986 ウィリアムズHonda 16 優勝5回 PP2回 2位 ー ー
1987 ウィリアムズHonda 15 優勝6回 PP8回 2位 7位 出走せず
1988 ウィリアムズ・ジャッド 14 2位 2位 9位 8位 リタイヤ
1989 フェラーリ 15 優勝2回 3位 4位 4位 リタイヤ
1990 フェラーリ 16 優勝1回 PP3回 5位 3位 リタイヤ
1991 ウィリアムズ・ルノー 16 優勝5回 PP2回 2位 3位 リタイヤ
1992 ウィリアムズ・ルノー 16 優勝9回 PP14回 チャンピオン PP リタイヤ
1994 ウィリアムズ・ルノー 4 優勝1回 PP1回 9位 4位 4位
1995 マクラーレン・メルセデス 2 10位 9位 29位 ー ー

主な記録

■F1

・通算勝利数:31勝(1995年当時3位。現在6位)
・通算PP数:32回(1995年当時4位。現在7位)
・年間最多優勝数:9回(1992年に達成。歴代1位を10年間保持。現在3位)
・年間最多PP数:14回(1992年に達成。歴代1位を19年間保持。現在2位)
※PP=ポール・ポジション

■その他

・CARTデビューイヤーチャンピオン(1993年)
・F1&アメリカ最高峰フォーミュラレース連続チャンピオン(F1:1992年、CART:1993年)

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